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名古屋地方裁判所 昭和36年(ヨ)801号 判決 1962年5月28日

申請人 沢井清 外一名

被申請人 大平設備機械株式会社

主文

被申請人が申請人らに対して昭和三六年七月一五日なした解雇の意思表示の効力を申請人らが被申請人に対し追つて提起する解雇無効の訴の本案判決確定に至る迄停止する。

申請人らのその余の申請はいずれも却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請代理人は「被申請人が申請人らに対して昭和三六年七月一五日言い渡した解雇の効力は申請人らが被申請人に対し追つて提起する解雇無効の訴の本案判決確定に至る迄その効力を停止する。被申請人は申請人らを被申請会社南工場に就業させなければならない。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、申請の理由として

(一)  申請人らはいずれも高等学校卒業後直ちに昭和三五年三月六日被申請会社の従業員となり南工場に勤務していたが、昭和三六年七月一五日解雇の言渡を受けた。

(二)  右解雇の意思表示は申請人らがその加入している名古屋一般合同労働組合の組合員として被申請人らに対し次の如く賃上等の要求書を提出したことを理由とするものであつて、不当労働行為として無効である。

すなわち昭和三六年七月一三日被申請会社の従業員である申請人両名、申請外杜下敏夫、白川昭平、武道錦、渡辺郁夫、清水勝利の七名は被申請会社南工場製造工務課長日比三喜男(南工場の事実上の工場長)に対して南工場の従業員約六〇名の待遇につき次の三つの要求を文書で提出した。

1  従業員一律月額五千円の賃上

2  生産手当を日給者、月給者を問わず一日一〇〇円乃至八〇円支給のこと

3  出張手当を日給者、月給者を問わず一日一〇〇円乃至八〇円支給のこと

右要求をするに至つたのは、従業員の給料が他工場に比較して低くしかも南工場には労働組合が組織されていないので他の従業員約二〇名と相談して前記要求をすることになつたが、いつ要求するかについて意見の違いを生じ、結局前記七名が要求書を提出することになつたのである。

右要求に対し日比課長は同年七月一四日要求者の代表としての申請人らに対し被申請会社には金がないので右要求には応じ難い旨回答し、翌七月一五日日比課長から解雇の言渡がなされたのであつて、右解雇に至るまでの経緯に照らせば本件解雇が不当労働行為であることは明らかである。

(三)  仮りに然らずとするも、申請人らが日本民主青年同盟の同盟員であることを理由とするものであつて、思想による差別待遇として無効である。

(四)  仮りに然らずとするも、申請人らには解雇に値する就業規則違反の行為がなくまた解雇する業務上の必要もないから解雇権の濫用として無効である。

(五)  申請人らは郷里岐阜県を出て被申請会社南工場に勤務していたのであつて、本件解雇によつて現実に日々の生活に困り、又折角被申請会社において工員として勤務し技術上の習得をなし得たのに離職すれば青年時代の技術習得の機会を失うにいたる。

(六)  よつて本件解雇の意思表示は無効であり、且つ申請人らの従業員としての地位を保全する必要があるから、右解雇の意思表示の効力を本案判決確定に至る迄停止すると共に被申請人に対し申請人らを被申請会社南工場に仮就労させることを求める。

と述べ、被申請人のいう解雇事由に対して次のとおり反駁した。

申請人沢井清について

(1)  申請人沢井清が昭和三五年一二月一三日宿直勤務中に被申請人所有の小型自動三輪車を無免許運転して南工場近辺の東洋高圧工業株式会社工業薬品名古屋蔵置所のコンクリート塀に激突させ右自動車を毀損したことは認める。しかし右は被申請人が労働基準法第三二条第三三条に違反して申請人沢井清に対し申請外清水勝利と共に昭和三五年三月下旬から昭和三六年四月上旬に至る間毎日午後八時から翌朝午前八時迄南工場の宿直勤務を命じたため、成年に達したばかりの同申請人は連日の宿直勤務に退屈無聊を感じていた上、青年特有の旺盛な探究心から申請人木股登に事務所で電話の応待と火災の注意を代行するよう依頼し自動車運転免許を有する申請外清水勝利の指導により自動車運転練習をしていた際の事故である。そこで申請人沢井清は被申請人に陳謝し損害額約一万円の支払を申し出たが、支払わなくてもよいとのことで始末書を提出したのであるから解雇理由となるべきものとは考えられない。

(2)  申請人沢井清が被申請会社所有のトラツクを無免許運転し且つキー・ホールダーを破損したことは認める。しかし右の実情は申請人沢井清は昭和三六年四月二五日頃江南市林紡績株式会社古知野工場へ出張を命じられた際、被申請会社の自動車が同工場の出入口に放置してあつたので、往来の邪魔になると思い自動車の位置を変えるため二、三メートル運転後退させて下車しようとしたときに、同申請人の膝がキー・ホールダーに触れてキー・ホールダーを留めるビスを折つたというのであつて、その際キー・ホールダーの持主である右自動車の運転手畔柳光男に謝り同運転手もこれを諒としたので被申請人に右事実を報告しなかつたのであるキーホールダーの価格は二〇〇円乃至三〇〇円とのことであり、また右キー・ホールダーが被申請人の所有であるか否か或は右毀損によつてキー・ホールダーが全く廃物になつたか否かは不明である。右の如く申請人沢井清が故意に破損したものではなく破損当時強く追求されたこともないのに、右事実をもつて解雇理由とされることには承服し難い。

(3)  無届で欠勤、遅刻及び早退をしたことを否認する。欠勤又は遅刻の届出を文書によつて提出するよう指示されたことはない。(い)昭和三五年九月二四日の早退は頭痛のためであつて小林係長に断つてある。早退する場合上司の許可がなければ守衛所を通ることができないので無届ということはあり得ない。(ろ)(イ)昭和三五年一二月七日、一〇日、一二日、二三日、二九日、昭和三六年一月五日、九日、二月七日、三月一日に遅刻したことはない。右各日タイムカードを押すのを忘れたため庶務課係員がタイムカードに出勤時間である八時を書き込んだのである。(ロ)昭和三五年一二月二四日、昭和三六年一月二六日、二月八日、一一日、二三日、三月一〇日、二七日、二八日、三〇日、四月六日、六月六日に遅刻したことはない。右各日タイムカードに八、〇一とあるのを八、〇〇と訂正してあるのは、備付の時計が進んでいたためか、又は一分の遅刻は大目にみてくれたためか庶務係が訂正したのであつて無断遅刻したものではない。(ハ)昭和三五年一二月一一日、二五日、二八日、三〇日、昭和三六年一月七日、一五日、二月四日、一三日、四月五日の各遅刻は前記(1)に述べた如く申請人沢井清は一年有余にわたり連日宿直勤務を続けていたので、朝は庶務課勤務の従業員が出勤して来た後始めて創風寮に帰り、朝食をとつてから出勤する状態であつたが、庶務課勤務者において必ずしも申請人沢井清が朝食をとる余裕のある時間に出勤しなかつたため、その余裕時間のなかつたときに必然定時におくれるにいたつたものである。(ニ)昭和三六年七月一〇日の遅刻はその前日の九日(日曜日)申請人両名及び申請外清水勝利が日帰りの予定で岐阜県の深沢峡へ遊びに行つたが、帰途バスに乗り遅れたため当日名古屋市へ帰ることができなかつたことによるのであつて、翌一〇日午前八時前に鶴舞駅に到着し直ちに庶務係近藤伊都子に電話で遅刻する旨連絡してあり無断遅刻したのではない。(は)昭和三六年一月四日は正月休みの続きでずるずると休んだ。同年七月二日の欠勤は頭痛のためであつて、申請人木股登から庶務係近藤伊都子に届け出てある。

(4)  申請人沢井清が勤務態度悪く、上司の指示に従わず社長に不遜な態度をとつたことを否認する。被申請会社の従業員となつてから二、三ケ月後に製造工務課長小林秀雄から社長に頭を下げないと損だぞといわれたことがあるが、態度が悪いと注意されたことはなく、上司の指示に従わなかつたという覚えもない。社長からボーナスを貰うときにも頭を下げて片手で受け取つたのであつて不遜な態度に出たということはない。

(5)  昭和三六年七月九日夜寮へ帰らなかつたのは前記(3)(ろ)(ニ)の事情による。

(6)  同年七月一〇日の遅刻については前記(3)(ろ)(ニ)記載の如く届け出てある。

申請人木股登について

(1)  昭和三五年六月一六日、一七日の欠勤は、郷里で母一人が約八反の田畑を耕作しているので田植の手伝に行つたためであつて庶務係近藤伊郁子に届け出たと記憶している。同年六月二八日より七月一九日までの間の欠勤は尾西市蘇東工業株式会社に出張の際風邪にかかつたことが原因で中耳炎が再発して尾西市森病院、名古屋大学附属病院及び坂井田病院に通院治療していた期間中、頭痛がして出勤不能のときだけ欠勤したものであつて、当然欠勤届はしたはずである。同年七月二九日より九月五日までの日曜日及び公休を除いた欠勤三三日は中耳炎再発のためである。当初は名古屋市南区岡本病院に通院していたが欠勤のため給料が貰えず寮での生活が経済的に苦しいので郷里に帰り瑞浪市高村病院に通院加療したのであつて、無届欠勤ということはあり得ない。

(2)  申請人木股登が配置転換されたことはあるが、耳の故障を理由に退職を希望したことはなく、作業能率劣悪だとは考えない。本件解雇の際総務部長相原雅円は申請人両名を昭和三六年三月解雇する予定だつたが、仕事をよくするので解雇しなかつたといつた。

(3)  昭和三五年九月二〇日の欠勤は腹痛のため、同年九月二九日より一〇月一日までの欠勤は休養に郷里へ帰つたためであつて、いずれも庶務係黒田昇に欠勤届を提出した。

(4)  作業能率劣悪であることは否認する。

(5)  昭和三五年一一月一九日の欠勤については届出がしてある。同年一二月一八日の遅刻は当日が日曜日であつて連日の残業による疲れや気のゆるみによるものと思うし、また日曜日には遅刻する者が多い。届出をしなかつたのは遅刻の場合届け出るように指示されたことがなかつたからである。

(6)  昭和三六年一月四日より同月七日までの欠勤は兄の結婚のためであつて、一月五日に申請人沢井清を通じて届け出てある。

(7)  昭和三六年二月二三日の早退は風邪のためであつて、係長小林秀雄の許可を得てある。上司の許可がなければ早退で帰ることはできない。同年二月二四日の欠勤は風邪のためであつて、欠勤届を出してくれるよう寮長に依頼した。同年五月一日の欠勤はメーデーのためであつて、欠勤届を出して貰うよう寮母を通じて寮長に頼んでおいた。同年六月一二日、一三日の欠勤は有給休暇であつて田植の手伝に帰郷した。同年三月一日、四月二六日、五月三日、六月二六日、二七日に遅刻した記憶はない。出勤時刻がペン書きであるのは出勤カードの時計が正確でなかつたり、又は前に五、六人待つていて後刻カードに押せばよいと思いながらそのまま忘れたりする場合に庶務係近藤伊都子がペンで八、〇〇と書き込んだり八、〇一を八、〇〇と訂正したものである。同年四月二二日には遅刻した。

(8)  分配機翼ボスを破損したのは昭和三六年六月二一日以前のことである。右事故は倉庫整理のため翼車ボスを移動中その一個を床上に落して一ケ所が欠け一ケ所にひびが入つたものであつて、そのとき小林係長から気をつけて仕事をするよう注意を受けたが破損箇所は熔接すれば使用できるとの話であり、製品の納期が遅れるとか遅れたとかいうことはそのときも又その後においても聞いたことがない。郡是製糸株式会社古知野工場に出張していた同僚からの話によれば、昭和三六年五月二一日頃にはすでに同工場に分配機が取りつけられて試運転を待つばかりであつたとのことである。したがつてこれをもつて解雇事由とされる理由はない。

(9)  昭和三六年七月九日夜寮へ帰らなかつたのは前記申請人沢井清についての(3)(ろ)(ニ)記載の事情による。

(10)  同年七月一〇日の遅刻については前記申請人沢井清についての(3)(ろ)(ニ)記載の如く届け出てある。(疎明省略)

被申請代理人は「申請人らの申請を却下する。訴訟費用は申請人らの負担とする。」との裁判を求め、次のとおり述べた。

(一)  申請人らの主張事実のうち、申請人らがいずれも高等学校卒業後直ちに昭和三五年三月六日被申請会社の従業員となり南工場に勤務していたが、昭和三六年七月一五日解雇の言渡を受けたこと、昭和三六年七月一三日申請人ら七名が賃上要求をなしたこと、翌七月一四日被申請人が右要求に応じ難い旨回答したことは認めるが、右要求をなすに至つた経過は不知、その余の主張事実を否認する。

(二)  被申請人が申請人らを解雇したのは次の理由による。

申請人沢井清について

(1)  昭和三五年一二月一三日当日は被申請会社南工場宿直の責任があるのに、宿直時間中会社所有の小型三輪車を無免許運転して南工場近辺の東洋高圧工業株式会社工業薬品名古屋蔵置所のコンクリート塀に激突させ右自動車を毀損して被申請会社に損害を与え、且つ宿直義務を怠つて譴責処分を受けた。もつとも申請人沢井清から弁償の申出があり被申請人の方でこれを求めなかつたということはあるけれども、しかし弁償を求めなかつたからといつて右無免許運転及び毀損行為の責任を問わないというものではない。なお申請人沢井清が宿直勤務をするに至つたのは被申請会社の社員寮が満員であるため同申請人が申請外清水勝利と共に工場内に宿直を兼ねて住み込んでいたものであつて巡視の義務もなく大部分は私生活としての居住である。

(2)  右(1)の事実により譴責処分を受け以後かかる事故は起さない旨誓約したのに反省することなく昭和三六年四月二五日江南市林紡績株式会社へ出張中、同社工場へ機械を納入して工場のプール横に止めてあつた被申請会社所有のトラツクを運転手不在中に無断乗車して無免許運転し、且つ右自動車の附属品であるキー・ホールダーを破損した。しかも右事実を被申請人に届け出ずに秘匿したのであつて、これが被申請人に発覚したのは同年七月一〇日である。

(3)  出勤状態は甚だ悪く昭和三五年一二月より昭和三六年七月一〇日迄の間に次の如く無届欠勤二回、無届遅刻二九回、無届早退一回に及び被申請人が再三注意したのに欠勤遅刻早退等の際に所定の様式による届出書を提出せず反省のあとがみられない。

(い)  無届早退、昭和三五年九月二四日に無届早退した。小林係長への届出もない。南工場には守衛がいないから上司の許可がなくても帰ることができる。

(ろ)  無届遅刻、(イ)昭和三五年一二月七日、一〇日、一二日、二三日、二九日、昭和三六年一月五日、九日、二月七日、三月一日に無届遅刻した。もつともタイムカードには八時とペンで書かれてあるが、これは申請人沢井清が遅刻したので故意にタイムカードを押さず、そのため出勤時間が不明となつて庶務係員が整理に困り、同申請人が押すのを忘れたというので止むなくペンで八時と書き込んだものである。(ロ)昭和三五年一二月二四日、昭和三六年一月二六日、二月八日、一一日、二三日、三月一〇日、二七日、三〇日、四月六日、六月六日に無届遅刻した。タイムカードに八時〇一分と刻印してあるのを八時〇〇分とペンで訂正したのは庶務係員が申請人沢井清に頼まれ被申請人の意思に反して勝手に訂正したものであつて、時計が進んでいたり又は被申請人が一分の遅刻を猶予したようなことはない。(ハ)昭和三五年一二月一一日、二五日、二八日、三〇日、昭和三六年一月七日、一五日、二月四日、三月一三日、四月五日に無届遅刻した。当時申請人沢井清は宿直勤務であつたが、午前七時過頃から七時半迄には同申請人と交代すべき従業員が必ず出勤しており、工場から寮までの距離も歩いて三、四分であるから朝食をとるための時間は充分にあるし、万一午前七時半までに従業員が出勤しなかつたとしても、同宿していた申請外清水勝利は本社勤務として工場との連絡に当つており本社の出勤時間である午前八時半迄に工場の方へ出勤すればよいのであるから、右清水と交代で申請人沢井清が先に寮へ食事に行くこともできたのであつて、宿直勤務のために朝食をとる時間もなかつたということはあり得ない。かえつて午前八時近くなつてまだ顔を洗つていたので被申請会社幹部がもつと早く起きるように注意したことすらある。(ニ)昭和三六年七月一〇日に無届遅刻した。

(は)  無届欠勤、昭和三六年一月四日、七月二日に無届欠勤した。

(4)  勤務態度は極めて悪く、特に上司の指示に従わず社長に会つても一度も挨拶をせず、再三注意したのにその態度を改めなかつた。特に昭和三六年七月七日社長からボーナスを受け取る際ひつたくるようにして受領し不遜な態度に出た。

(5)  昭和三六年七月九日その居住する南工場附属創風寮から外出し無断外泊した。

(6)  同年七月一〇日前夜無断外泊したうえ三〇分遅刻したのに届出をしなかつた。

申請人木股登について

(1)  昭和三五年六月一六日、一七日無届欠勤し、同年六月二八日、二九日、七月一日、二日、四日、八日、一九日に無届病気欠勤し更に同年七月二九日より九月五日まで三九日間病気欠勤し、うち七月二九日より三日間が無届である。なお届は所定の様式による届出書を提出してなすことになつている。

(2)  昭和三五年七月一五日頃耳の故障を理由に退職を希望したが被申請人としては治療して回復すれば従前どおり現場作業に、もし回復しなければ事務所関係の仕事に配置する旨申しおいてその経過をみた。しかし耳の故障が回復しなかつたので同年一〇月二六日以降南工場管理係に配置転換して適当な職場を与えるべく努力したが、機能障害のため作業能率劣悪である。

(3)  昭和三五年九月二〇日、二九日、三〇日、一〇月一日、二七日に無届病気欠勤した。

(4)  昭和三五年一〇月二六日現場作業では頭痛等身体に異状を来たすと称して作業能率が全くあがらないので、管理係で製品の出納、在庫品の管理に当らせることにしたが、依然として作業能率劣悪である。

(5)  昭和三五年一一月一九日無届欠勤、同年一二月一八日、二五日無届遅刻した。

(6)  昭和三六年一月四日より一月七日までの四日間無届欠勤した。

(7)  昭和三六年二月より同年七月三日に至る間に無届欠勤四日、無届遅刻早退八回に及び反省することがない。昭和三六年二月二三日無届早退した。同年二月二四日、五月一日、六月一二日、一三日無届欠勤した。同年三月一日無届遅刻、もつともタイムカードにペン書で八、〇〇と記入されているが、刻印がないのは明らかに遅刻のため故意に押さなかつたものである。同年四月二二日無届遅刻した。同年四月二六日、五月三日、六月二六日、二七日無届遅刻、もつともタイムカードには八時とペン書きされているがこれは申請人木股登が遅刻したので故意にタイムカードを押さずそのため出勤時間が不明となつて庶務係員が整理に困り、何らかの時間を書き込まなければ欠勤扱いとなるので止むなくペンで八時と書き込んだものであり、また八時〇一分を八時〇〇分と訂正してあるのは庶務係員が申請人木股登のために勝手になしたものである。同年七月三日無届遅刻した。

(8)  昭和三六年六月二一日不注意により完成部品(分配機翼ボス)を床に落して破損し納品を遅延させた。右部品はすでに同年五月二三日郡是製糸株式会社に設置した分配機の取替部品であつてその納期を同年六月二四日として組み立てたのであるが、右部品の如き五枚翼のものは特殊なため予備もなかつたので当分四枚翼で我慢して貰い新たに至急完成の上期日より四日遅れて同年六月二八日取付けを完了した。しかもその際次の工事予定の四枚翼を流用したので、その後の生産計画にも支障を来たした。

(9)  昭和三六年七月九日寮則を無視して無断外泊した。

(10) 同年七月一〇日前夜無断外泊したうえ三〇分遅刻したが届出をしなかつた。

右申請人沢井清の行為のうち(1)(2)は就業規則第一三条第一号乃至第三号に、(3)(6)は同第一三条第一号第二号、第五〇条に、又(3)(6)を綜合すれば同第二四条第五号に、(4)は同第一三条第一号第二号に、(5)は同第一三条第二号に該当し、申請人木股登の行為のうち(1)(3)(5)(6)(7)(10)はいずれも就業規則第一三条第一号第二号、第五〇条に、又これらを綜合すれば出勤率極めて悪く且つ反省改善のみるべきものがないので同第二四条第四号第五号に、(2)は同第二四条第四号第五号に、(4)は同第二四条第五号に、(8)は同第一三条第三号に、(9)は同第一三条第二号に該当する。

申請人らの右行為は職場秩序を紊し正常な業務の運営を阻害するものであつて、右のうち就業規則第一三条違反の行為についてはその性質及び内容がいずれも重大であり且つ累積多数であるので就業規則第八四条第八五条により懲戒解雇するを相当とし、同第二四条違反行為については解雇を相当とするが、被申請人は申請人らの将来を考慮して懲戒解雇の手続によらず、就業規則第一三条及び同第二四条の該当各号同第二二条第二五条を適用して通常の解雇をするに至つたものである。

(三) 申請人両名は昭和三六年八月中旬頃から名古屋市南区にある桑原水道工事店に日給五〇〇円で毎日勤務しており(申請人沢井清は最近他へ転職した様である)、現に生活に困らないだけの収入を得ているから本件仮処分の必要性緊急性も存しない。(疎明省略)

理由

申請人両名がいずれも高等学校卒業後直ちに昭和三五年三月六日被申請会社に入社し同会社南工場に勤務していたこと、被申請人が昭和三六年七月一五日申請人両名に対し口頭で解雇の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

そこでまず右解雇が不当労働行為であるとの主張について判断するに、昭和三六年七月一三日被申請会社従業員である申請人両名、申請外清水勝利外四名合計七名が被申請会社南工場製造工務課長日比三喜男に対して、従業員一率月額五千円の賃上、生産手当を日給者月給者を問わず一日一〇〇円乃至八〇円支給、出張手当を日給者月給者を問わず一日一〇〇円乃至八〇円支給の三項目の要求を文書で提出したこと、これに対し被申請人が同年七月一四日右要求に応じ難い旨回答したことは当事者間に争がないが、申請人両名の各本人尋問の結果によつて疏明されるところによれば、右要求当時被申請会社南工場には従業員の労働組合は組織されておらず、また労働組合を結成する動きもなく、僅かに申請人両名及び申請外清水勝利が個人的に名古屋一般合同労働組合に加入しているに過ぎないという実情であり、右要求も申請人らが一般合同労働組合とは関係なしに従業員の意思に基き提出するに至つたものであつて、要求書を提出した七名の中に右組合に加入している申請人両名及び申請外清水勝利が加わつており、又申請人両名が右要求の際特に積極的に行動した事実があるとはいえ、これが労働組合運動としてなされたものではなく、しかも当時被申請人が申請人両名の右組合加入の事実を知つていたとの疏明もないのであるから、本件解雇が労働組合活動としての右要求書提出を理由になされた不当労働行為であるとの主張は理由がない。

また申請人両名の各本人尋問の結果によれば申請人両名はいずれも日本民主青年同盟に加入していることが疏明されるが、被申請人が右事実を知つていたこと或は本件解雇が右同盟員であることの故になされたものであることの疏明がないから、本件解雇が思想による差別待遇である旨の主張も失当である。

次に本件解雇が解雇権の濫用であるとの主張について判断するに、本件解雇は就業規則第一三条及び第二四条の該当各号同第二二条により同第二五条の手続を履んでなされたものであるところ証人日比三喜男の証言によつて成立の認められる乙第一号証の記載によれば就業規則第二二条には「業務上の都合により転勤、休職、役職任免及び配置転換、解雇を行うことがある」と規定されているが、右のうち休職及び解雇についてはこれが重大な処分であることから特に同第二三条に休職事由を、また同第二四条には「左の各号に該当するときは原則として解雇する」として、第四号に「傷病又は老衰に依り将来に亘り現職務又はこれに準ずる職務に就業させるのに著しく適しないと認められるとき」、第五号に「技能又は作業能率が極めて低く且上達又は回復の見込がないとき」を掲げ、その外精神病等にかかつたとき(第一号)、傷病療養のため休職となつたが回復の見込なきとき(第二号)、一五日以上無届欠勤したとき(第三号)、経営不振等やむを得ない経済的事由あるとき(第六号)の四項目を掲げていることに鑑みれば、前記第二二条にいう解雇ができるためには第二四条各号にいう解雇事由がなければならないものというべきである。又前記乙第一号証によれば就業規則第一三条に「従業員は労働契約の本旨に従い左の事項を守らなければならない」としてその第一号に「従業員は常に各自の職責を自覚し誠実にこれを遂行すると共に進んで能率の向上に努めなければならない」、第二号に「従業員は会社の定める諸規則、諸規程を守り職務上の指示に服し互に協力して会社工場の秩序維持に努めなければならない」、第三号に「従業員は工場の機械、設備、資材等の愛護節約に努め、いやしくも毀損滅失若しくは業務以外の目的に利用してはならない」と列記して従業員の基本的義務を規定しており、従業員においてこれに違反したとき会社の処置としては就業規則第八三条、第八四条の規定により懲罰することができるものと解される。右第八三条の規定によれば懲罰には譴責、減給、出勤停止、懲戒解雇の四種類があり、右は第八四条の規定によれば第一三条違反の程度に応じてなさるべきものである。言うまでもなく懲戒解雇は懲罰として最も重いものであるからこれに該当するためには第一三条違反においても最も情状の重い事由のあることを要する。本件においては懲戒解雇処分に付したのではないが、懲戒解雇事由が存在するとして第二二条による解雇をなしたのであるから懲戒解雇に該当する事由、即ち第一三条違反にして最も情状の重い事由が存在しなければならない。したがつて本件解雇が正当とされるためには具体的解雇事由として挙示された申請人らの各行為が懲戒解雇基準としての就業規則第一三条及び解雇基準としての同第二四条の該当各号に違反するものでなければならないから、右について以下逐次検討する。

申請人沢井清について

解雇事由の(1)(2)について、申請人沢井清が昭和三五年一二月一三日被申請会社南工場宿直勤務中に被申請人所有の小型自動三輪車を無免許運転して南工場近辺の東洋高圧工業株式会社工業薬品名古屋蔵置所のコンクリート塀に激突させ右自動車を毀損したこと、昭和三六年四月二五日江南市林紡績株式会社へ出張中同工場内において被申請人所有のトラツクを無免許運転し且つその際キー・ホールダーを破損したことは当事者間に争がないが、成立に争のない乙第二号証の記載、証人日比三喜男の証言及び申請人沢井清本人尋問の結果によつて疏明されるところによれば、昭和三五年一二月一三日の事故については申請人沢井清は遺憾の意を表明して翌一四日弁償を申し出ており、被申請人の方で弁償を問題としなかつたため結局弁償する迄に至らなかつたが同月一八日就業規則第八三条により再度このような事故を起さないよう注意する旨記載した始末書を提出して譴責処分を受けているし、また昭和三六年四月二五日の事故については右始末書を提出したのに再び無免許運転に及んでいることは軽視できないとしても、実害はキー・ホールダーの毀損のみで価格も二、三百円に過ぎないのであるから、再度の事故であるとはいえ未だ懲戒解雇事由としての就業規則第一三条第一号乃至第三号違反に該当するものではない。

解雇事由の(3)(6)について、申請人沢井清が昭和三五年九月二四日に早退し、同年一二月一一日、二五日、二八日、三〇日、昭和三六年一月七日、一五日、二月四日、三月一三日、四月五日に遅刻、同年七月一〇日に三〇分遅刻し、同年一月四日、七月二日に欠勤したこと、右欠勤遅刻につきいずれも文書による届出をしなかつたことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第四号証の一乃至八の各記載、証人日比三喜男の証言によれば、昭和三五年一二月七日、一〇日、一二日、二三日、二四日、二九日、昭和三六年一月五日、九日、二六日、二月七日、八日、一一日、二三日、三月一日、一〇日、二七日、三〇日、四月六日、六月六日にも遅刻したが、被申請人に対しいずれも文書によつて遅刻の届出をしなかつたことが疏明される。もつとも右各日のタイムカードにはペンで八、〇〇と書き込み又は八、〇一を八、〇〇と訂正して一見したところでは遅刻でないようになつているけれども、本来タイムカードは従業員が出勤した際機械的方法により刻印することによつて出勤時刻を明示しようとするものであるから人為的にペン書きされることはタイムカードを使用する趣旨に反するものであつて特に被申請人がこれを許容していたことにつき首肯し得るに足りる事情がなければならないが、申請人らが右記載につき供述する部分をもつてしてはこれを疏明するに足りない。ところで前記乙第一号証の記載、証人日比三喜男の証言及び申請人両名の各本人尋問の結果によれば、就業規則第五〇条によれば遅刻早退の場合には届出をすべきものとされ、欠勤については特に規定はなくてもこれが届出をすべきものであることは当然であつて、届出の方式は就業規則には何ら定められていないが、庶務係近藤伊都子の手許及び会社寮に届出用紙が備えつけられてあるから右届出用紙によつて届出をするようになつているものとみられる。しかるに申請人沢井清は口頭で届出をしたことはあつても文書による届出を怠つたのであるから無届による欠勤遅刻及び早退の責を問われるべきものである。しかしながら前掲各証拠及び前記乙第四号証の一乃至八によれば、被申請人が特に遅刻早退の場合に迄右届出用紙によつて届出をするよう厳格に要求しこれが周知徹底をはかつた形跡はなく、そのため従業員の少なからぬ者が欠勤遅刻早退の際に文書による届出を励行していなかつたが、被申請人はこれを見過していたこと、従業員の出勤状況についてタイムカードは出勤時間を明らかにする重要な勤務査定資料であつて被申請人としては常にこれが管理を厳重にすべきであるのに、庶務係がカードから転記した出勤表をみるのみで事足れりとし、本件解雇の問題が起きて漸く調査した結果庶務係がタイムカードに出勤時刻をペンで記入し或は刻印された時刻を訂正していたことが判明し、しかもこのような例が申請人らのみならず他にもあつて一般的に行われていたという杜撰な管理状態を続けていたこと、二九回の遅刻中明らかに一分を越える遅刻は昭和三六年七月一〇日の三〇分の遅刻を加えて五回、二分を越える遅刻は四回であることが疏明されるのであつて、これらの事実に加えるに、就業規則第二四条第三号によれば無届欠勤日数一五日以上に及ぶとき解雇事由となるが無届遅刻早退は解雇事由として列記されておらず、しかも申請人沢井清の無届欠勤日数は二日に過ぎないことを考慮すれば右無届欠勤等の事実をもつて就業規則第一三条第一号第二号第五〇条に該当し、しかもその程度が懲戒解雇に相当するとか或はこれら事実を綜合して同第二四条第五号に該当するとかいうことはできない。

解雇事由の(4)について、証人日比三喜男の証言及び申請人沢井清本人尋問の結果によれば、申請人沢井清が就業中通りかかつた社長に挨拶せず、或は昭和三六年七月七日のボーナス授与に際しその受け取り方が被申請人の期待する如く鄭重でなかつたことが疏明されるが、このような行為はそれ自体何ら解雇に値する勤務態度不良というべきものではなく、外に解雇事由として挙げられているような勤務態度が極めて悪かつた事実を認めるに足りる証拠もないから懲戒解雇に値するような就業規則第一三条第一号第二号違反の行為があるものとはいえない。

解雇事由の(5)について、申請人沢井清が昭和三六年七月九日夜創風寮を無断外泊したことは当事者間に争はないが、証人日比三喜男の証言によれば同申請人が寮を無断外泊したのは右が始めてであるから右行為をもつて就業規則第一三条第二号に違反したものということはできるが同違反をもつて懲戒解雇事由にあたるものということはできない。

申請人木股登について

解雇事由の(1)(3)(5)(6)(7)(10)について、申請人木股登が昭和三五年六月一六日、一七日に欠勤し、同年六月二八日、二九日、七月一日、二日、四日、八日、一九日、七月二九日より同年九月五日迄九月二〇日、二九日、三〇日、一〇月一日にいずれも病気欠勤し同年一一月一九日、昭和三六年一月四日より同月七日迄、二月二四日、五月一日、六月一二日、一三日に欠勤し、昭和三五年一二月一八日、昭和三六年四月二二日に遅刻し、同年七月一〇日に三〇分遅刻し、同年二月二三日に早退したことは当事者間に争がない。成立に争のない乙第八号証の一乃至八の各記載及び証人日比三喜男の証言によれば、昭和三五年一二月二五日、昭和三六年三月一日、四月二六日、五月三日、六月二六日、二七日、七月三日にも遅刻したことが疏明される。もつとも右のうちタイムカードにペンで八、〇〇と書き込み又は八、〇一を八、〇〇と訂正し一見遅刻でないようにしたものがあるが、申請人沢井清の場合に述べたのと同じく右記載された時間に出勤していたものと認めることはできない(なお、昭和三五年一〇月二七日については証人日比三喜男の証言によつて成立の認められる乙第七号証の記載によれば当日出勤していることが明らかである)。ところで前記申請人沢井清について述べた如く被申請会社においては欠勤遅刻及び早退をした場合文書によつて届出をすべきことになつており、申請人木股登本人尋問の結果によれば同申請人も欠勤の場合には文書による届出をすべきことを知つていたのに、証人日比三喜男の証言及び申請人木股登本人尋問の結果によれば申請人木股登は昭和三五年七月二九日より同年九月五日迄の病気欠勤につき同年八月一日診断書を提出し、また同年九月二〇日の欠勤につき文書によつて届出をした外は口頭で庶務係近藤伊都子に届け出たことがあるのみで文書による届出は勿論職場の上司にも届け出なかつたことが疏明されるから、右診断書又は文書による届出のなされた欠勤及び前記乙第八号証の七の記載によつて有給休暇と認められる昭和三六年六月一二日、一三日の欠勤を除く一九日の欠勤についてはいずれも無届の責を問われるべきものであつて、就業規則第二四条第三号に一五日以上無届欠勤し且休職取扱を認められないときには原則として解雇すると規定されていることを考えれば届出義務違反の責は重い。しかしながら就業規則第二四条第三号に該当する場合には解雇が原則であるというのであつて、情状によつては解雇しない場合もあるとみるべきであるが、前記申請人沢井清について述べた如く被申請人は文書による届出を厳格に要求して従業員に周知徹底をはかつた形跡はなく、従業員の少なからぬ者が文書による届出を怠つていたのに被申請人はこれを見過し、また遅刻についてタイムカードが人為的に記載されているのを知らなかつたことから分るようにタイムカードを点検し従業員の出勤状態を管理する熱意を欠いていたばかりでなく、前記乙第八号証の一乃至八の各記載及び申請人木股登本人尋問の結果によれば、無届欠勤のうち昭和三五年六月二八日より同年一〇月一日迄の間における欠勤一〇日はいずれも中耳炎治療のためであつて、その後においては兄の結婚のため昭和三六年一月四日より同七日迄四日欠勤した外は合わせて僅かに三日の欠勤があるに過ぎず立ち直りを見せて来ていること、一〇回の遅刻のうち明らかに一分を越える遅刻は昭和三六年七月一〇日の三〇分の遅刻を含めて四回であることが疏明されるから、右事実を綜合すれば一九日の無届欠勤といえども解雇の原則を排除し得るものというべきであり、その外遅刻早退についてもその無届を申請人木股登のみに帰責するいわれはなく、出勤率が極めて悪いということもいえないから、懲戒解雇事由としての就業規則第一三条第一号第二号第五〇条に該当するとはいえず、また右事実を綜合しても同第二四条第四号第五号に該当するものということもできない。

解雇事由の(2)(4)について、申請人木股登が昭和三五年一〇月二六日現場作業から管理課倉庫係に配置転換されたことは当事者間に争がなく証人日比三喜男の証言及び申請人木股登本人尋問の結果によれば右配置転換は同申請人の中耳炎罹患による右耳の聴力障害を考慮して行われたものであつて、倉庫係勤務になつた後も聴力障害のため時として他人に呼ばれても聞えないことがあつたり仕事の手違いがあつて小林係長から注意を受けたこともあるが申請人木股登が倉庫係の職務について就業規則第二四条第四号第五号に掲げられてあるような職務に著しく不適であるとか技能作業能率が極めて低く且つ上達の見込がないような状態にあることが疏明されないから、右解雇事由は理由がない。

解雇事由の(8)について、申請人木股登が分配機翼ボスを床に落して破損したことは当事者間に争がない。証人日比三喜男の証言によつて成立の認められる乙第六号証の記載並びに右証言及び申請人木股登本人尋問の結果によれば、右事故は申請人木股登が倉庫整理のため移動中に手を滑らしたのによるものであつて注意を欠いていたということはできるが、作為的なものではなく、また昭和三六年六月二一日右事故が起きたため納期の同月二四日に間に合わず、納期から四日遅れて納品したが、右分配機翼ボスは翼が五枚のもので、当初分配機に取り付けられてあつた四枚の翼ボスよりも五枚の翼ボスの方が能率がよいため交換することになつたもので、一応四枚の翼ボスでも分配機を使用し得るものであり納品の遅れも四日に過ぎないのであるから、未だ被申請人の損害が多大であつて解雇という手段に訴えなければ業務運営に円滑を欠くに至るという程度のものとは考えられず、懲戒解雇事由としての就業規則第一三条第三号違反には該当しないものというべきである。

解雇事由の(9)について、申請人木股登が昭和三六年七月九日夜創風寮に帰らず無断外泊したことは当事者間に争がない。右行為は就業規則第一三条第二号に該当し、しかも証人日比三喜男の証言及び右証言によつて成立の認められる乙第一〇号証の記載によれば申請人木股登は寮を無断外泊したことが四、五回あり、或は門限後帰寮したことがあるが、右の如き以前の行為を合わせ考えても右違反行為をもつて懲戒解雇事由にあたるものということはできない。

以上述べた如く被申請人のいう解雇事由はいずれも理由がないのみならず、各行為を綜合して考えてみても特に申請人両名を解雇しなければ職場秩序維持の障害となる程のものとはいえない。かえつて前記の如く解雇がなされた前々日である昭和三六年七月一三日申請人両名を含む七名の者が被申請人に対し賃上等の要求書を提出し、その際申請人両名が特に積極的に行動した事実があることを想起すれば、本件解雇は右の如き解雇事由として挙示されたところが決定的に作用したというのではなく、被申請人が申請人らの待遇改善要求を嫌悪しその中心人物としての申請人両名を排除しようとしてなされたものと推察される。したがつて本件解雇の意思表示は権利の濫用として無効とすべきものである。

仮処分の必要性について申請人両名の各本人尋問の結果によれば現在申請人沢井清は赤旗分局にまた申請人木股登は桑原水道工務店に勤務しいずれも日給五〇〇円の支給を受けているが、各勤務共臨時的のものである。申請人両名はいずれも満二〇才であつて今後継続性のある勤務に従事し独立して生活を営むため被申請会社において引き続き就労する意思があり、しかも本案判決確定まで解雇された状態を続けることは被申請会社の従業員として技術を習得し将来に備えるのに多大の不利益を与えることになるから、被申請会社南工場の従業員としての地位を仮りに認められるべき必要性が存する。

しかしながら就労請求については雇傭契約において使用者は労務の提供を受領すべき義務を負うものではなく、ただ正当な理由なくして労務の提供を受領しないときは受領遅滞となり労務の受領なくして対価を支払わなければならないというに止まるものであつて、現実に就労しないことによる精神的苦痛は雇傭契約上の問題ではなく、これをもつて雇傭契約上の就労受領義務を認めさせる根拠となるものではないから、右請求は失当である。

よつて本件申請のうち解雇の意思表示の効力を本案判決確定に至る迄停止することを求める部分は正当として認容し、その余の被申請会社南工場への就労を求める部分はいずれも失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 村上悦雄 渡辺一弘)

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